コートジボアール「国のなりたち」・・・その2

フランス本国の国民議会(下院)および上院に議員を送り、1958年にフランス共同体の枠内における自治共和国となりました。

さらにその後、コートジボアール憲、法の制定、この憲法による総選挙、立法議会の成立などを経て、1960年8月、フランス共同体の枠を離れて完全独立を宣言しました。

その歴史からみられるように、フランスとの関係が深く、今日もなおフランスとの関係は緊密です。


国名コートジボアール共和国
英語名RepublicofCoted'Ivoire
独立年月日1960年8月7日
国連加盟年月1960年9月20日
主要国祭日12月7日(共和国記念日)

コートジボアール「国のなりたち」・・・その1

14世紀頃、フランスの船乗りたちがこの方面を訪れるようになり、象牙の取り引きを始めるようになったことから、国名となった"コートジボアール(象牙海岸)"(英語名はアイボリーコースト)という名が生まれたといわれます。

1842年2月、フランス国王ルイ・フィリップの時にフランスの保護領となり、1世紀を経過して第2次世界大戦後の1946年に、フランス第4共和制下で"海外領土"に昇格しました。

国名コートジボアール共和国
英語名RepublicofCoted'Ivoire
独立年月日1960年8月7日
国連加盟年月1960年9月20日
主要国祭日12月7日(共和国記念日)

コートジボアール「地理・気候・風土」

ギニア湾に面し、約550kmの海岸線をもち、赤道のやや北方に位置します。

海に面する南部はいわゆる"ラグーン(潟湖)"地帯で、これが海岸一体に広がり、この地方から北に向かって標高400~500mのなだらかな丘陵が続き、ギニアとの国境地帯は600~1、700mの山岳地帯です。

海岸沿いの国土の1/3は熱帯雨林地帯に属し、高温多湿で、雨量の多い地区では年間3、000㎜を超え、平均降雨日数は年間約140日に達する。

中央部は森林地帯で、気候的には湿度はやや少なくなり、さらに北へ向かうとサバンナ地帯となり、北部地区はサハラ性の気候の影響を受け、雨量、湿度ともに南部に比べて少ない国です。

コートジボワール内戦

2002年9月19日、バボ大統領の軍機構改革で退役を迫られたことなどを不服とする軍人ら約750人による反乱軍「コートジボワール愛国運動」が、アビジャンやブアケなど主要都市で蜂起しました。

これが「コートジボワール内戦」です。

政府軍との戦闘によって、反乱軍の黒幕と見られるゲイ前大統領が死亡しました。

一方の政府はドゥドゥ内相が殺害、アミチア・スポーツ相も身柄を拘束され、22日までに戦闘による死者は270人、負傷者は300人にも上りました。

22日にフランスは自国民らの保護を目的に、国軍をコートジボワールへ派遣。

27日までに日本人11人を含む1,500人を救出しました。


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写真は、2002年以降初めて反乱軍地域を訪れたバボ大統領。

クーデター

1999年に、現職に不満を持った軍のロベール・ゲイ元参謀長らがクーデターを強行します。

クーデターを起こした翌日には、軍事政権「国家国民救済委員会」を設置し、2000年1月にゲイが第3代大統領に就任しました。

5月にゲイ大統領は民政復帰に向け、新憲法制定のための国民投票や大統領選、議会選を順次実施するという方針を発表。

7月に新憲法草案が国民投票で承認され、10月22日には大統領選も実施されましたが、軍事政権は集計作業を中断させてゲイ大統領の当選を一方的に発表しました・・。

すごく強引!

しかし、市民は黙っていません。抗議行動でゲイは逃亡し、10月FPIのローラン・バボが第4代大統領に就任しました。

このバボ大統領は、27日にFPI選挙対策幹部のンゲサン・アフィを首相に指名し、これで挙国一致内閣が成立しましたが、共和連合(RDR)は新政府に参加しませんでした。

ウフェ=ボワニ大統領時代

奇跡的な成長を遂げたコートジボワール。

そして・・・

冷戦終結に伴う国際的な民主化の流れの中で、1990年10月に初の複数候補による大統領選が行われました。

ここでウフェ=ボワニ大統領が7選。

11月には初の複数政党制での総選挙が実施され、PDCI(コートジボワール民主党)が圧勝しましたが、イボワール人民戦線(FPI)など、野党も議席を獲得しました。

1993年にウフェ=ボワニ大統領が在職33年で死去すると、憲法上の規定に則って、国民議会議長でPDCI党員のコナン・ベディエが第2代大統領に就任します。

そして1995年10月の大統領選では、主要野党がボイコットするなかで、ベディエ大統領が圧勝!
11月の総選挙では、PDCIが絶対多数を確保しました。

イボワールの奇跡

前回の歴史の続きです。

シャルル・ド・ゴール仏大統領の植民地放棄の流れの中で、1958年12月4日に自治国となりました。

1960年には正式に独立を果たし、初代の大統領にはコートジボワール民主党(PDCI)のフェリックス・ウフェボワニ(写真)が就任しました。

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PDCIによる一党制と、ウフェ・ボワニ大統領のカリスマ性によって政治は一気に安定しました。

開放政策が採られ、1960年代から1970年代にかけて年平均8%の驚異的な経済成長を遂げ、その発展は「イボワールの奇跡」と呼ばれたほど大変なことでした。

象牙海岸

15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航しました。
貿易が活発化していた時期ですね。

黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などと共に、象牙海岸(コートジボワール)という名前が付けられたんですよ~。
これが、コートジボワールの由来なんでしょうかね。(^^)

17世紀半ばには、フランスが西アフリカ経営に乗り出しました!
1893年にフランスの植民地となり、1917年には全土が制圧されたという時期があります・・・。

コートジボワールの国章

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コートジボワールの国章には、緑色の盾の中に象の頭部が描かれ、盾の左右にはヤシの木、上部には太陽がそれぞれ描かれています。
下部には、国名のRépublique de Côte d'Ivoireが書かれています。
コートジボワールの国章のなかで特徴的な事は、象の頭部が真ん中に描かれているという事です。

象は「象牙海岸」という日本名でも知られるように、コートジボワールにとって歴史的・文化的に重要なシンボルです。
象さんは、大事なんですね。

太陽は、伝統的に「新たな始まり」を意味しているんですよ~。
朝日って・・スタートっていう感じですよね^^

そして、2001年に国章のデザインを変更~。
変更点は象のデザインと、盾の色が黄色から白へのグラデーションとなった点です。
綺麗なグラデーションに変わりましたね~^^

コートジボワールの国旗

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コートジボワールの国旗は、オレンジ白緑の縦三色旗。

なんとも可愛いかんじです。

個人的にアフリカの国旗が一番可愛いというか、おしゃれなかんじがします。


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